
みなさんはWoolrich(ウールリッチ)というブランドをご存じでしょうか。赤と黒のバッファローチェック柄が特徴的な、アメリカ最古のアウトドアブランドです。Stock Hillにも入荷することがあります。
なぜ僕らはWoolrichに魅了されるのか。
このブランドがどこから来て、なぜ今も古着として残り続けているのかをお伝えできたらと思います☺︎
- Woolrichの創業——1830年、ラバの荷車から始まったアメリカ最古のアウトドアブランド
- バッファローチェックとは何か——1850年、Woolrichが生み出したアメリカを代表する柄
- Woolrichと軍の歴史——南北戦争から第二次世界大戦まで毛布を届け続けた190年
- 1939年バード南極探検隊——マイナス60度に耐えるWoolrichの特注装備1,000点
- Woolrich Arcticの誕生——1970年代、マイナス40度のアラスカ工事現場のために
- Woolrichの知られざる顔——L.L.Bean・Lands’ End・Eddie Bauerの服を作っていたOEM工場
- Woolrichの買収と工場閉鎖——188年のアメリカ国内生産が終わった日
- Stock HillのWoolrich
Woolrichの創業——1830年、ラバの荷車から始まったアメリカ最古のアウトドアブランド
Woolrichの始まりは1830年。
日本の歴史で言うと、葛飾北斎や歌川広重、勝海舟などが生活していて、異国船打払令や大塩平八郎の乱が起こっていた時代。
僕は歴史にあまり強くないですが、冷静に今から約200年も前の話で、今出てきた人物や出来事を考えてもかなり前なのがわかりますね。
イギリス・リバプール出身の移民ジョン・リッチが、ペンシルバニア州プラムランの小さな川沿いに羊毛工場を建てたことから始まった。

当時このあたりは材木業が盛んで、
・木を切り倒して木材にする伐採夫
・森に罠を仕掛けて動物を捕まえて毛皮を売る罠猟師
・銃や弓で動物を狩るハンターたちが
山に入って働いていた。
ジョン・リッチはラバの荷車に毛糸・布・靴下を積み、山奥の木材キャンプを一軒一軒回って売り歩いた。
顧客は「伐採夫の妻たち」——夫のために丈夫な服を作る素材を求めていた女性たちだ。

1843年、パートナーのダニエル・マコーミックの持ち分を買い取り、1845年に新しい場所へ工場を移した。
その工場を中心に住宅が建ち並び、やがてその集落は「Woolrich(ウールリッチ)」という地名になった。
工場の名前が町の名前になったのだ。

バッファローチェックとは何か——1850年、Woolrichが生み出したアメリカを代表する柄
Woolrichが世界に誇る「バッファローチェック」が生まれたのは1850年のことだ。
ベースになったのはスコットランドの伝統的なチェック柄「ロブ・ロイ」だとされている。

Woolrichのデザイナーがこのパターンを元に、大きな格子と太いラインで独自のデザインを作り上げた。
赤と黒の2色——伐採夫やハンターが森の中でも目立つ色だ。
「バッファローチェック」という名前の由来はこのように語り継がれている。
デザインを担当したWoolrichのデザイナーが、バッファローの群れを個人的に飼っていて、だから「バッファローチェック」と名付けたと言われている。
ただ、これについてWoolrich公式サイトも「伝説によれば」という表現を使っており、確証はない。
個人的にはこんなに広まっているチェックの名前が、本人がバッファローを飼っているからっていう適当な理由で付けられているっていうのが、雑でもうちょっと別の方法無かったのかなって思いつつ、なんかそれも面白いなって思います笑
これは190年以上語り継がれてきた話だ。
そんな赤と黒のバッファローチェックのウールシャツは即座に人気となり、伐採夫や野外作業員の定番になった。
高い視認性・耐久性・保温性が評価されたためだ。
では、なぜここまで有名になったのか。
その答えは時代に分けて4つある。
①1850〜1900年代:伐採夫・ハンター・農場労働者の実用服として広まった
暖かく丈夫で、赤が視認性を高める——機能的な理由で働く男たちの定番になっていった。
②1914年:ポール・バニアンが着ていた
巨大な伐採夫のキャラクターであるポール・バニアンはアメリカの民話に登場する巨大な木こりのキャラクターで、斧一本で森を切り開く「アメリカの開拓精神」の象徴として語り継がれてきた。
彼が赤と黒のチェックシャツを着ているイメージが1950年代に広まり、バッファローチェックは「たくましく、自然と向き合う男の服」という意味を帯びるようになった。

1954年:マーロン・ブランドが映画「波止場」で着用
マーロン・ブランドが演じたのは、マフィアが支配する港湾組合の言いなりとして生きてきた元ボクサー・テリー・マロイ。腐敗した権力に最終的に立ち向かう労働者の姿と、作業着のバッファローチェックがセットで世界中に広まった。「汗臭い作業着を着た男が体制に逆らう」——その構図が、バッファローチェックに反骨精神のイメージを重ねた。
この柄は後にアメリカの「アウトドア・ワークウェアの象徴」となり、今日でもWoolrichの顔として世界中で愛されている。
Woolrichと軍の歴史——南北戦争から第二次世界大戦まで毛布を届け続けた190年
Woolrichは創業以来、アメリカが戦争をするたびに軍の装備を支えてきた。
南北戦争(1861〜1865年)
連邦軍(北軍)に大量の毛布を供給した。今もWoolrichは当時の毛布をそのままの製法で復刻生産しており、南北戦争の歴史再現イベントや映画撮影に使われている。

第一次世界大戦(1917〜1918年)第二次世界大戦(1942〜)
毛布やウール製品をアメリカ軍に供給。
190年以上にわたってアメリカの戦争に寄り添ってきたブランドだ。
1939年バード南極探検隊——マイナス60度に耐えるWoolrichの特注装備1,000点
Woolrichの歴史の中で最もドラマチックなエピソードの一つが、1939年のアドミラル・バード南極探検隊への装備提供だ。
アメリカ政府の要請を受けたWoolrichは、マイナス60度に耐えるための特注装備を1,000点以上製作した。
中厚・厚手ウールシャツ、補強入りスキーパンツ、32オンスのウールパンツ、特注の狩猟用コートなど——
探検隊員が生き延びるための服だった。

なぜアメリカ政府がウールリッチに要請したかについての1次情報はありませんでしたが、これまでの歴史と軍への供給がそれを後押ししたのではないかと個人的には思います!
そして探検隊は無事に南極大陸の調査を完了して帰還した。
Woolrich Arcticの誕生——1970年代、マイナス40度のアラスカ工事現場のために
1970年代、アラスカパイプラインの建設現場。
数千人の作業員が何ヶ月もの間、アラスカ北部に滞在して工事を続けていた。その環境での日中の最高気温の平均はマイナス40度だった。
Woolrichがこの仕事を任された理由は明確だった。
当時Woolrichは、鉄道工事の作業員や木こりのための作業着メーカーとして広く知られていたからだ。
パーカに使われた素材はラマークロス(60%コットン・40%ナイロン)と言い、水・風・摩耗への耐性で1970年代のアウトドア・ワークウェア界で広く使われていた素材だ。フードにはコヨーテのファーが使われた。
凍りにくく、ペンシルバニアで容易に調達できたためだ。

大きなボタンは手袋をしたまま操作できる設計で、フロントには手を温めるハンドウォーマーポケット、大容量のボトムポケットも備えていた。
パイプライン工事が終わった後もこのパーカはアウトドア市場で定番として残り続けた。今日でもWoolrichはこのデザインを「Arcticパーカ」として販売し続けている。
Woolrichの知られざる顔——L.L.Bean・Lands’ End・Eddie Bauerの服を作っていたOEM工場
Woolrichについて最も驚くべき事実の一つが、実は他のブランドの服を陰で作っていたということだ。
1970〜80年代、フリースが台頭する以前の時期、WoolrichのペンシルバニアI工場はL.L.Bean・Lands’ End・Eddie Bauer・REI・Eastern Mountain Sportsのために製品を製造していた。これらのブランドは自社カタログに自社ブランドとして掲載していたが、実際に縫っていたのはWoolrichの工場だった。
「あのブランドのウール製品がWoolrichと同じ工場で作られていた」という事実は、当時の消費者には知られていなかった。
僕らが魅了されるブランドを作っていたウールリッチ!
これらの繋がりを見るとそれは僕らも好きになるよなあって感じました!



REIもEMSも記事は書いてないですが、見つけられたら絶対入荷したいくらい好きなブランドです☺︎
しかしフリースが1980〜90年代に爆発的に普及し、羊毛製品の需要が急落すると、Woolrichは1990年に全従業員2,600人のうち約1,500人を解雇。ペンシルバニア・ジョージア・コロラド・ネブラスカの工場を次々と閉鎖し、生産をメキシコに移した。

Woolrichの買収と工場閉鎖——188年のアメリカ国内生産が終わった日
1998年、WoolrichはイタリアのW.P.ラヴォーリ社とパートナーシップを結び、ヨーロッパでのブランドライセンス事業を展開した。2016年には正式に合併してWoolrich Internationalとなった。
2018年、ペンシルバニアの最後のアメリカ国内工場が閉鎖された。188年にわたる「アメリカ国内生産」の歴史が終わった瞬間だった。
時代が移り変わるのが仕方ないですが、こういう歴史のあるブランドでさえ、このような結末を迎えるのは少し寂しいですね、、
現在はヨーロッパの投資ファンドL-GAMが過半数株式を保有している。2012年にはジョン・リッチの7代目の子孫Nick Brayton(ニック・ブレイトン)が社長に、8代目のJosh Rich(ジョシュ・リッチ)が副社長に就任したことがPR Newswireの公式プレスリリースで確認できる。2018年の最後の工場閉鎖もNick Braytonが社長として声明を出している。ただし買収後の現在の経営体制は不明だ。
Stock HillのWoolrich
Stock Hillに入荷するWoolrichの古着には、1830年から続く歴史が詰まっている。
伐採夫の妻たちのために作られ、南北戦争の兵士を温め、南極探検隊を生かし、L.L.BeanやLands’ Endのシャツを縫い、最後にペンシルバニアの工場の扉を閉めた。
その積み重ねが、古着として今ここにある。
Woolrichを着るとき、その服が通ってきた190年の旅のことを少し思い出してもらえたら嬉しい。
なぜ僕らはWoolrichに魅了されるのか。
理由はここにありました☺︎

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