
コロンビアをご存じでしょうか。
アウトドアブランドとして知っている方もいれば、PFGのシャツで見かけたことがある方もいると思います。
Stock HillではColumbiaの古着も取り扱っています。
理由は僕たちが好きなブランドだから。
ここではその歴史と魅力をお伝えします。
1938年、ナチス・ドイツから逃げた家族が始めた帽子屋
コロンビアの始まりは戦争から逃げてきた一家の話です。
1924年、ドイツのアウクスブルクにゲルトルード・ランフロムという女の子が生まれました。父パウルはドイツ最大級のシャツ工場を経営する裕福なユダヤ人一家でした。
しかしゲルトが13歳のとき、ナチスが政権を握りました。
家に「ユダヤ人はここに住んでいる」と書かれ、学校にも行けなくなり、家族が経営していた工場は没収されました。
1937年、一家はすべてを失ってドイツを脱出し、ポートランドへたどり着きました。

ゲルトはインタビューでこう振り返っています。
「ポートランドに着いたとき、知っていた英語は童謡の一節だけだった」。
13歳で1年生のクラスに入れられましたが、2週間で7年生に飛び級しました。
言葉も文化も分からない街に放り込まれた少女が、2週間で追いついた。この適応力と粘り強さが、後のゲルトを作っていきました。
父パウルは小さな借り入れで「コロンビア・ハット・カンパニー」を設立しました。
地元を流れるコロンビア川にちなんだ名前で、これがコロンビアの始まり。
帽子屋からのスタートでした。
帽子屋からアウトドアブランドへ
ポートランドは山と川と森に囲まれ、釣りや狩猟、スキーを楽しむ人たちが多く暮らす土地柄でした。
コロンビアは自然とその土地の人たちが必要とするものを作り始め、1960年には社名を「コロンビア・スポーツウェア・カンパニー」に変えました。
アウトドアブランドへの転換が正式に始まった瞬間です。
最初の製品は、ゲルトが家のミシンで縫った釣りベストだった
ゲルトはニール・ボイルと結婚し、3人の子どもを育てる専業主婦になりました。1964年に父パウルが亡くなり、夫ニールが会社を引き継いで社長に就任しました。
ある日、夫が釣りから帰ってきて言いました。
「お客さんに、もっと使いやすい釣りベストが欲しいって言われてるんだけど」。
ニールは釣り人仲間を家に集め、「どんなベストが欲しいか」をワイワイ話し合いました。
「ここにタバコを入れるポケットをつけて」
「フライをぶら下げるフックはカーテンフックで代用して」
「ボタンはマグネットで」。
プロのデザイナーでも何でもない。
家にあるものを使って、釣り人たちの声を聞きながら作り上げた一着でした。
ゲルトは自分の家のミシンに向かい、そのアイデアを形にしました。
こうして生まれた「ヘンリーズフォーク・ベスト」は飛ぶように売れ、コロンビアの名前をアウトドア業界に知らしめました。
コロンビアの公式サイトにはこう書かれている。
「ゲルトが自分のミシンでベストのプロトタイプを仕上げた。それはベストセラーになり、コロンビア・スポーツウェアを世に知らしめた。まさに一仕事だった」
夫の突然死から会社を立て直した専業主婦
しかし1970年、夫ニールが47歳で突然の心臓発作で亡くなりました。
ゲルトは46歳。ビジネスの経験はゼロ。3人の子どもを抱え、倒産寸前の会社を一人で引き受けることになりました。
銀行は「売った方がいい」と言いました。
買い手も現れましたが、「借金は引き受けたくない」と値段を下げようとした。
そのときゲルトは言いました。「その値段なら、自分で潰した方がマシだ」。
大学在学中だった息子ティムと一緒に会社を立て直すことを決めました。
ゲルト自身の言葉があります。
「早起きして、一生懸命働いて、広告を打て」。
バガブー|コロンビアを世界ブランドにしたジャケット
倒産寸前から這い上がる過程でコロンビアは大きな賭けに出ました。
1975年、アメリカで初めてゴアテックスを使ったパーカーを作ったのです。
そして次の発明が「インターチェンジシステム」でした。1枚で3通りの着方ができる仕組みで、防水の外側のシェルと保温力のある内側のライナーを組み合わせたものです。
何度かの失敗を経て1986年に生まれた「バガブー」は発売と同時に大ヒット。
コロンビアはスキーウェアのトップブランドへと躍り出ました。
「Men’s Bugaboo II 1986 Interchange Jacket」という名前は今もコロンビアの公式サイトで販売されています。
One Tough Mother
1984年、コロンビアはゲルト本人が登場するCMを始めました。
息子ティムを「商品テストの人形」として使い、洗車機に放り込んだり崖からぶら下げたりしながら「このジャケットなら大丈夫か確かめてやる」と言う。
キャンペーンの名前は「One Tough Mother(タフなお母さん)」。
これは広告のキャラクターではなく、ゲルト本人そのものでした。
2010年、86歳のゲルトが自宅に戻ると見知らぬ男が銃を突きつけて誘拐しようとしました。
ゲルトは「警報システムを解除する必要がある」と男を説得し、その隙にパニックボタンを押して警察を呼びました。駆けつけた警察署長がライバルブランドのジャケットを着ていたのを見て、ゲルトはこう言いました。
「あなたがそのジャケットを着て現れるまでは、とても調子が良かったんです」。その事件から2日後、普通に出勤しました。
コロンビア公式サイトにはゲルトの口癖が残っています。
「完璧だ。じゃあもっとよくしろ」。新商品が完成するたびに必ずこう言いました。
Columbia PFG(パフォーマンス・フィッシング・ギア)とは
コロンビアが釣りと深く関わってきたのは、最初の自社製品がゲルトの手縫いの釣りベストだったからです。その積み上げを1996年に「PFG」という一つのラインとして正式にまとめました。
PFGとは「Performance Fishing Gear(高性能釣り用ギア)」の略です。「ボートからバーへ(boat to bar)」というコンセプトで、釣り場でも使えるのにそのまま街に出ても様になる。
アメリカ南部の釣り人たちの間でカルト的な人気を誇ります。
代表的な3モデルの違いはこうです。ボーンヘッドはコットン100%で肌触りが良く普段着に近い感覚で着られます。バハマは軽量ナイロンで速乾性が高くUPF50の紫外線カット機能も持ち、釣りに一番振り切ったモデルです。タミアミは3モデルの中で最も軽くしなやかな着心地です。
個人的にはコットン100%のボーンヘッドが大好きです。
ナチスから逃げた一家の積み重ねが、古着として今ここにある
ゲルトは2019年、95歳で亡くなりました。コロンビア公式の追悼文にはこう書かれました。
「彼女の鋭い機知と知恵が、倒産寸前だった1970年代の会社を、年間売上30億ドル近くのグローバル企業へと成長させた」。
ナチス・ドイツから逃げた一家が見知らぬ街でゼロから始め、夫を突然亡くした専業主婦が会社を立て直した。
その積み重ねが、古着として今も残っています。
僕たちがColumbiaに魅了されるのは、たぶんそういうことだと思います。
📍 埼玉県北葛飾郡杉戸町下高野2376-3
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